修道会の歴史3
1896年に日本最初の男子トラピストとして、フランスのブリックベックが北海道に灯台の聖母修道院を創立し、1898年にフランスのラヴァルが函館に天使の聖母修道院を創立しました。半世紀後の1953年に天使の聖母修道院は福岡新田原に伊万里の聖母修道院の前身を創立し、それは1966年に伊万里に移動しました。その他に西宮、那須、安心院に女子修道院、大分に男子修道院があります。第二バチカン公会議(1962~1965)によって、全修道会は創立の源泉に戻ることへの勧告を受け、トラピストもシトーの創立者の精神に帰るよう方向転換が明確にされました。シトーの創立者を鼓舞した、福音の精神、ベネディクトの戒律の忠実な遵守、貧しさ志向、単純性、労働、祈り、聖書の勉学、などが強調され禁欲的な厳しさが緩和されました。
こうした時代の変遷の中で、繁栄と衰退を繰り返しながら、生き続けてきたシトー会モナスチカ修道生活は、上記したように、殉教の精神が動機になっている、と言えます。キリストとその弟子の殉教者たちのように全面的に自己を神に奉献することへの憧れが、この召命を生きる者たちを根本で支えているものなのです。そのため、血を流した殉教者たちを、普通、「赤の殉教者」と言い、このようなモナスチカ生活の修道者を「白の殉教者」と伝統的に言っています。殉教への憧れは最高の愛から生じます。