修道会の歴史2
教会の世俗化の時期と砂漠の師父たちの霊性運動の時期が同時進行している、という事実から、モナスチカ生活(神のみを探求する生活)の起源は、砂漠の霊性運動に起源を持ち、その運動の動機は初代キリスト教の殉教の精神にある、と言えるでしょう。その後、その運動は西方教会と東方教会に広がり、様々な形態の修道生活へと発展していきます。6世紀に、ベネディクトは西方に導入された修道生活を集大成し、ベネディクトの戒律と言われる生活規範を作り上げました。これは多くの修道会則に影響を与え、また、ヨーロッパの精神造りに寄与しました。そのためにベネディクトはヨーロッパの父と言われるほどです。こうして、ベネディクト修道会と言われる修道会が6世紀に誕生しましたが、世紀を重ねるごとに、修道会は拡大され、富裕になり、世俗化も始まりました。もっと貧しく、単純な生活による福音的生活を求めて誕生したのが、1098年フランスのシトーに創立されたシトー修道院です。シトー修道会は徹底的にベネディクトの戒律を文字通りに忠実に生きることを理想として、創立されました。11世紀のヨーロッパは隠遁主義の修道院やグループが各地に多く散在していました。これらの一つから、シトー会創立者のグループが出ました。11世紀における霊性刷新運動です。12世紀はシトー会がヨーロッパを席巻した感があります。この世紀にはシトー会から多くの著作家たちを輩出し、会の黄金時代でした。その後、弛緩し、カトリック教会は1517年にルターの宗教改革を迎えます。1662年ド・ランセによって、厳格な禁欲主義がシトーの生活様式に加味されました。これはトラップという場所の修道院で始まったので、トラップの人、すなわちトラピストと言われ、女子は女性名詞のトラピスチヌ、と言われます。(この事実によって、私たちは「シトー会伊万里の聖母トラピスチヌ修道院」と称しています。)